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 さつまいも=からいも
元禄11年(1698年)に19代島主・種子島久基が、琉球で栽培されている
甘薯のうわさを耳にし、琉球王国王・尚貞(第二尚氏王統11代)に、
島の貧しい人々の救荒作物として甘薯を送ってほしいとお願いしました。

琉球国王は快くその願いを聞き入れ、1篭の甘薯を久基のもとへ送り届けてくれました。

島の貧しい人々の救済事業として、久基公は家老の西村時乗に
領地の農民の中から有能な者を選び、甘薯を急ぎ栽培するようにと命じました。

島主の命を受けた西村は、信頼していた農民の休左衛門に甘薯の試埴を命じたのです。

大瀬休左衛門は、琉球から送られた種いもをを地中に埋めてみたり、
いもづるを地中にさしてみたりと、試行錯誤の末に、
種子島での甘薯の栽培に初めて成功しました。

以来、種子島では、主食作物として栽培されるようになります。

その後、薩摩藩を通じて九州に持ち込まれ、八代将軍(徳川吉宗)の
命を受けた青木昆陽がサツマイモの栽培に成功し、全国的に普及していく事となりました。

甘薯が中国から琉球に伝わり、琉球を経て種子島にもたらせたという事で、
甘薯の事を鹿児島では「からいも」と今でも呼ばれています。

その当時、中国の事を「唐の国」と呼んでいたからです。
 種芋から苗を採取していきます。  採取した苗を1本づつ植えていきます。 
 1週間もすると頭を持ち上げて成長します。  ウネを覆いつくします。あと3ヶ月程で収穫! 
                                  安納芋の栽培、収穫の様子はここ
    
    今ではお蔭様で「安納芋」は種子島のお芋として有名になりました。
    でも、昔から作られてきた種子島の「からいも」には名前がついていませんでした。
    島に移住した人たちが「こんなに甘いお芋は初めて、、」とびっくりするお芋でした。
    
    この「からいも」を、島の農業試験場(熊毛支社)が系統選抜を繰り返して、
    間違いのない「甘いからいも」が栽培できるように改良してきました。
    こうして各農家に苗を配布できるような苗ができましたが、まだこの「からいも」に
    名前がついてませんでした。

    農業試験場(熊毛支社)が種子島の安納地区にあるという事で、
    平成10年に、単純に「安納芋」と名づけられました。
    (安納地区で栽培されているから安納芋という事ではありません 原種は古くから島中に存在)
)
    さらにこの「安納芋」から「安納もみじ」という種類ができました。
    安納芋を栽培しているとどうしても白っぽいお芋ができてしまいます。
    この白い安納芋を系統選抜し、品種改良してできた安納芋です。
    
    そして、今までの安納芋は「安納紅芋」、この白いお芋を「安納もみじ」ととして
    出荷されるようになりました。
    「安納もみじ」は農協が商標登録してますので、われわれ農家が農協以外に出荷
    する時は「安納こがね」という名称で出荷します。

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種子島かごんま商店  種子島中種子町坂井315-65  電話 0997-27-9368 責任者 岩元繁
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